ほ  ぼ  週  刊


アリサン氏のプロフィール
1954年東京生まれ。コピーライター、雑誌編集者、フリージャーナリストなどを経て時計情報誌の副編集長に。今夏よりフリーライターに復帰。スイスの時計師たちなどからはアリサンと呼ばれている。

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第24回これが最後の原稿になりそうです
 何か月もアリサンニュースを書いてなかったので、もう忘れられてしまったのではないかと、反省しながらも少々恥ずかしい気持ちです。
 以前にちょっと触れされてもらった『時計の歴史』は、進行(というより私の原稿)が予定より遅れていましたが、先週でようやく色校正も終わり、私の手を離れました。来年1月20頃には書店に並ぶと思います。
 このような本が国内はもとより、スイスにもなかったので、どんな事柄を取り上げればいいのか、写真や図版は何を使うのがいいのかなど、実際に取り掛かるまでの準備や資料集め、さらにはスイスや国内での取材など、時間も費用も当初の予定を大幅に上回ってしまいました。でも自分で言うのもなんですが、時計の歴史をコンパクトに凝縮できたのではないかと思っています。ただし、あくまでも読み物として楽しめる歴史の本を目指したので、メカに関してはあまり触れていません。ですから、いわゆる時計マニアには物足りないかもしれませんが、私は時計雑誌に関る前は歴史ものの編集を行っていて、わずかですが著作もあるわけですから、まあ歴史読み物のほうが得意なわけです。
 ちなみに出版社は河出書房新社で、「ふくろうの本」という、かなりアカデミックなシリーズのひとつで定価は1800円(ちょっと高い)です。ひとりでも多くの人に買ってもらえたらありがたく思っています(金子さんにはプレゼントしないといけませんね)。
 ところで、今回の見出しを見て???と思われた人もいるかと思いますが、実は来年1月中に私個人のホームページを立ち上げるのです。現在トップページなど主要なところをデザイナーさんにお願いしているところです。このホームページが出来上がると、その更新やら管理やらでアリサンニュースを続けるのはかなり難しくなりそうなのです。もちろん、自分のホームページにはニュースを掲載しますので、金子時計店のホームページとリンクさせてもらえればいいなと思っています。
 勝手気ままに書かせてもらい、金子さんをはじめ皆さんには感謝、感謝です。ホームページが開設したときは掲示板にカキコをさせていただこうと思っています。
 これからもよろしくお願いいたします。
2005,12,23


第23回たいへんご無沙汰いたしました
 前回の原稿を書いてから2か月ほども経ってしまったでしょうか。6月中旬にドイツへ行き、帰国後体調を壊して1週間も寝込んだおかげですっかり予定が狂ってしまい、おまけに体重も5キロ近く減りました。でもまだ、お腹が細くなっていないのは、いかに最近太ってしまったかということを証明してしまったみたいです。
 金子さんには公私ともに多忙のため、しばらく休ませていただきたい旨を連絡していたのですが、どちらかというと公よりも私のほうで落ち着かなくて、そのために公にも影響をしているといった感じです。ただ、雑誌の仕事がほぼ一段落ついてきて、今後数か月は本の制作に重点を移しますので、きっちり週刊と言う訳には行かないかもしれませんが、何とか再開させていただこうと思っています。
 本というのは今年の初めから取りかかっている「時計の歴史」で、11月に発売の予定です。これまでスイスにも日本にもまとまった時計の歴史の本がほとんどなかったので、協力をもらうために時計メーカーや代理店を回っているのですが、予想以上に期待を持っていただけているので、うれしい反面、かなりのプレッシャーでもあります。また、ただ歴史を述べたり、時計を紹介したりするだけでなく、随所にトピック的なものを織り込むようにして、時計のすばらしさをさまざまな角度から伝えられるようにしたいと考えています。写真や図版も多用して、全体的にはミニ図鑑のような感じになると思います。
 今年のバーゼルフェアのあとスイスに2週間近く留まったのもそのためですが、そのときの面白いエピソードをひとつ紹介したいと思います。
 ご存知の人も多いと思いますが、スイスではジュネーブ、ヌシャテル、ジュラ地方が時計作りの3大拠点といわれています。ヌシャテルはラ・ショー・ド・フォンやル・ロックルを含む地域で、現在も多くの時計メーカーの拠点があります。この地方で時計作りの基礎を定めたのがダニエル・ジャンリシャールであることもよく知られています。ジュラ地方はヌシャテルからさらに奥へ行ったところで、フランスと国境を接しています。ヌシャテルとジュラ地方はひとくくりにされていることが多いようですが、州としてもヌシャテルとジュラは別のものです。フィリップ・デュフォー氏の工房があるサンティミエ、ショパール創業の地ソンヴィリエ、また最近はパルミジャーニ・フルーリエで有名になったフルーリエなどはジュラ地方に入ります。
 バーゼルフェアが終わってから、ル・ロックルにある時計博物館を訪ねました。ティソの好意で広報担当のイギリス生まれの女性が案内兼通訳(フランス語と英語の通訳です)として付いてくれることになりました。また、彼女の補佐のような感じで、若い男の社員が自動車を運転してくれたのですが、取材が終わってヌシャテルの駅まで送ってくれる途中で、彼が「この映画見た?」と1枚の音楽CDを取り出しました。見るとそれは『キル・ビル』です。残念なことに私は映画を見ていなかったのですが、それなら面白い歌を聞かせてあげるとCDをセットしたのですが、そこから流れてきたのは、何と梶芽衣子の『恨み節』! 映画を見ていた人にとってはどうということはなかったかもしれませんが、まさかスイスで、それもかなり山深く入ったヌシャテルで『恨み節』を聞くことになるとは思いませんでした。私もカメラマンも思わず大笑い。サビのところを私が歌うと、広報担当の女性も大爆笑でした。おかげでまたひとり、いやふたり、スイスに友だちができた感じです。
2005,8,12


第22回 ノモスについてもうちょっと詳しく
 このところ雑誌の原稿に追われていて、このコーナーに何を書いたらいいのか整理がつかない状態です。しかも先週、このところ調子が悪かったパソコンのリセットを行ったときに過去に書いた時計関係の原稿をバックアップしていなかったもので、改めて資料をひっくり返したりして余計に時間がかかっています。
 そんなこんなで金子時計店のホームページを見ていたら、ノモスのことが話題になっているようですね。話題になっていることは、バーゼルフェアのときにしっかり情報を得てきましたので、もう少し詳しく述べたいと思います。
 まず値上げについてですが、これはノモスに限ったことではありません。ETA社が値上げをしたのが原因ですから、どこのメーカーもこれから発売されるモデルはけっこう高くなりそうです。以前から製造が続いているモデルは、わずかな改良を加えながら、やはり値上げされることは間違いないでしょう。
 分割プレートがなくなるのは、ドイツ時計伝統の4分の3プレートが採用されるからですが、これに関してはさらに別の事情が絡んでいます。グラスヒュッテで作られている時計には、たいてい「GLASHUTTE」の表記がありますが、この表記が認められるのはドイツ国内でムーヴメント製造コストの50パーセント以上をかけてものに限られるようになりったため、グラスヒュッテで作られているだけでは表記できないようになったのです。ノモスは部品で購入しているとはいえETA社のムーヴメントを使用していることに変わりがありませんから、従来のままではグラスヒュッテの時計として通用しないわけです。そこでプレートや調速機などを自社で作るようにした新しいムーヴメントに変更することになりました。つまり、グラスヒュッテはスイスメイドに対抗した表記になると思えばいいでしょう。
 またさらに、新しいムーヴメントはこれまでのノモスとは異なり、プレートがジュネーブ仕上げになっています。つや消しゴールドのような仕上げはノモスの特徴でもあったので、これには賛否両論があるようですが、その辺りのことにこだわらなければ、きれいに仕上げられているので高級感が増したように感じるのではないでしょうか。
 次回入荷分から値上げになるということですが、もしかすると新しいムーヴメントを搭載したモデルになるのかもしれませんね。
 自動巻きもすでに開発されていて、近いうちに商品化されることは確実です。自動巻きになるとローターの分だけムーヴメントが厚くなる懸念がありますが、そこのところは技術的にうまく解決できているらしく、手巻きモデルとあまり変わらないようです。
 そのほかに、実はもっと面白い情報があるのですが、それはまだ公にしないという約束で教えてもらったことなので、今は書くわけにいきません。皆さん、楽しみに待っていてもらって損はないと思いますよ。
 それから、高級時計といってもいいある時計を、破格値で手に入れられることになりました。なぜかと言うと、スイス本社からダイレクトに情報を得られたからで、役得と言えないこともありませんが、自費でスイスまで取材に行ったので、まあそのくらいは許されてもいいですよね。価格やメーカー名は絶対に言えませんが。
2005,5,15


第21回 スイスは開放的。でも閉鎖的な一面も
 ゴールデンウィークは皆さんどのように過ごされているのでしょうか。私はバーゼル特集に掲載する写真の整理が一段落し、体内時計もようやく日本時間になったので、そろそろ原稿に取り組もうかと思っているところです。まずは連休中に、バーゼル特集以外の原稿を仕上げてしまわなければなりません。
 今回バーゼルフェア取材を含めて3週間近くもスイスにいたことで、いろいろなことがわかってきました。やっぱり「行ってナンボ」です。
 そのひとつがスイスの開放性と閉鎖性です。スイスには実に多くの国から人々が移住してきています。時計界を見ても、パテック・フィリップの創業者であるアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックはポーランドからの亡命貴族だったし、ロレックスを創業したハンス・ウィルスドルフはドイツ人、IWCの創業者のひとりフローレンス・アリオスト・ジョーンズはアメリカ人です。それどころか、16世紀後半からの新教徒への迫害を逃れてフランスからジュネーブへやってきた時計職人たちがいなかったなら、ジュネーブの、いやスイスの時計産業は今日のような隆盛を迎えることはなかったに違いありません。
 またさらに、私の友人でもあるエングレーバーのキース・エンゲルバーツ氏はオランダ人ですし、ヴィンセント・カラブレーゼ氏やアントワーヌ・プレジウソ氏はイタリア人です。現在もなお、世界各国からスイスへやってくる時計関係者は跡を絶ちません。海外からの移住を厳しく制限している日本とは大きな違いです。
 にもかかわらずスイス、特にジュネーブの時計界には一種の閉鎖性があります。それは何かというと、フランス語を話せない人間はあくまでも異邦人だということです。日本人の多くは英語さえできれば世界に通用すると思っているようですが、こと時計に関してはフランス語が共通語なのです。実際、時計用語の多くはフランス語がもとになっており、英語が堪能なメーカーの広報担当者や時計師たちでも、機構などについてはフランス語でないとうまく説明ができないことが珍しくありません。ですから、英語が堪能だからといってスイスの時計界で活躍している人たちと親密な付き合いができるとは限りません。少なくとも、フランス語を話そうという意欲は持っていなくてはなりません。
 もっとも、ジュネーブやその周辺はフランス語圏ですから、そこで生活している人たちの言葉で接するのは、彼らへの敬意でもあるわけです。英語は確かに世界共通の言語かもしれませんが、世界の母国語ではありません。その辺のところも、よく理解しておく必要があるのではないでしょうか。
 ジュネーブの閉鎖性ということに関しては、今でも日本人は時計学校へ入れません。日本人がスイスの時計学校へ行きたいと思ったら、ジュネーブ以外にある時計学校へ入るしかないのです。これは1970年代にスイス時計界を襲ったクォーツの嵐、早い話がセイコーのクォーツが世界を席巻したことへの恨みつらみが、今なおジュネーブには根強く残っているからです。私は冗談混じりに「ジュネーブにも横綱審議委員みたいな人たちがいるんだね」と言っていますが(笑)。
 肝心な時計の話ですが、バーゼルフェアや、そのあとにジュネーブで開かれていたタイム・エボリューションという独立系の発表会などでは、ぜひ日本に進出したいので自分たちも紹介して欲しいと、熱心に売り込まれることが何度かありました。次回はそんなブランドをいくつか紹介したいと思います。
2005,5,2


第20回 体内時計はまだスイスのままですが
 16日(土)の夕方、ほぼ3週間ぶりに日本へ戻ってきました。プレスキットなどが多いのでジュネーブで郵便局から送ったのですが、エコノミーで送ったので約2週間かかり、それの届いたのが22日(金)。今日ようやくプレスキットの整理が終わりました。けれども3週間近くスイスにいたため、体内時計はスイスのままです。向こうはサマータイムのため日本との時差は7時間なので、日本の朝7時にようやく夜中というわけです。昼間眠いのをがまんできれば日本時間に戻せるとは思うのですが、自宅が仕事場のためついつい昼寝をしてしまうからいけません。
 さて、皆さんに何を報告したらいいのかと思い掲示板などを読んでみたのですが、さすがというか、情報が早いですね。
 話題になっているオーパス5ですが、実物は写真で見るよりもかなり強烈なインパクトがあります。大きさも厚みもかなりのものですが、何よりも時刻を示すキューブの動く様子にホホーッ! 時刻が変わる数分前からキューブが動き出すのですが、動き始めると同時に表示する時刻のキューブ(現在時刻を表示しているキューブの次のキューブ)が回転しながらピッタリと定位置に収まります。プレスといえども実物を見るチャンスの得がたいオーパス5を、この目でじかに見ることができたのはラッキーでした。
 同じくハリー・ウィンストンの新作では、ピーター・スピークマリンのエクセンター・トゥールビヨンも素晴らしい時計です。シンプルなデザインがトゥールビヨンの美しさを引き立てているだけでなく、あしらわれているダイヤモンドの輝きが文字どおりまばゆいばかり。バーゼルフェアのあと、ピーターの工房を訪ねていろいろ話を聞いたので、その内容は雑誌に発表する予定です。
 もうひとつ掲示板で話題になっているケンテックスのトゥールビヨンも見ました。仕上がりもなかなかきれいですが、何よりもその価格に驚かされました。ケンテックスのホームページにも書かれているように、この機構をほんとうにトゥールビヨンと言っていいのかという疑問もなきにしもあらずですが、少なくとも日本では問題ないと思います。
 ベルネルの時計辞書などによれば、トゥールビヨンのケージは3番車に載せるもので、そのためにケージが1分間に1回転するわけです。ケンテックスのトゥールビヨンは4番車にケージを載せているもので、厳密にはカルーゼルと呼ばれるものです。時計師に聞いたところ、その果たす役割はトゥールビヨンと変わりがないそうですが、構造がより簡単で作りやすいそうです。したがって、技術にプライドを持っている時計師は作らないようですが、ブランパンなどのようにカルーゼルをトゥールビヨンとして販売しているところも少なくなくありません。薀蓄のひとつとして、その違いを知っていて損はないといったところでしょうか。
 いずれにしても、香港の時計技術が侮れないことは確かで、正直なところ日本の時計技術よりも上を行っているといって間違いではないと思います。安く大量に作ることばかり考えてきた日本産業界の問題が、こんなところにも表われてきているようです。
 また、トゥールビヨンといえば、バーゼルフェアでもジュネーブサロンでも、どこもかしこもトゥールビヨンだらけといった印象を受けました。それだけに、トゥールビヨン以外の機構を搭載しているモデルのほうに、面白いものが多かったような気もしているのですが、それらについては追々お話をしていきたいと思います。
2005,4,24


第19回 エレキウオッチ買っちゃいました
 金子さんのホームページに掲載されているデッドストックのエレキウオッチを買ってしまいました。今月28日から来月15日までスイスへ行くので、正直なところかなり財政(というか懐具合)が厳しいのですが、いよいよ在庫がなくなってきたらしいので、思い切って(というほど大げさな金額ではないのですが)購入したというわけです。
 私は以前から右へ倣いをするのが嫌いで、よく言えば個性的、悪く言えばへそ曲がりというか、ひねくれ者みたいなところがあり、時計の好みについても誰もが知っていたり、持っていたりする、いわゆる人気が高いものにはあまり購買意欲を刺激されることがありません。ですから、エレキウオッチのように主流になれなかった腕時計には大いに惹かれてしまうのです。
 話は脱線しますが、2年ほど前に山本晋也監督にお会いしたことがありますが、そのとき「日活ロマンポルノは反体制映画だったんですよね」と言ったら、とても喜ばれたことを覚えています。キスシーンすら問題視されていた時代に、ポルノという手法で表現の自由、ひいては個人の自由というものを訴えたわけで、最近のアダルトなどとは根本的に違っていました。石川せりが主題歌を歌った「八月の濡れた砂」あたりがポルノ映画の先駆けみたいに言われていましたが、今見るとどこがポルノかと思えますし、芸術性もかなり高いと思います。私は幼稚園、中学校、高校と一緒だった友人が日大技術学部へ進み、映画製作を目指していたこともあり、学生時代には彼も含めた高校の同級生たちと、酒を飲んだあとによくオールナイトの映画館へポルノ映画を観に行きました。高倉健さんが出てくるやくざ映画なんかも観ました。やくざ映画も、その頃は体制からはみ出した男たちが、社会の悪に立ち向かうといった感じで、やはり反体制映画のひとつでした。
 そんな人間ですから、F1やボクシングなどを観戦したときも、君が代の演奏に際して起立したことがありません。でも、その話は脱線しすぎですから止めておきましょう。
 腕時計に関して、大手メーカーより、独立時計師や独立系メーカーに関心が向いてしまいがちなのも、私の性格によるところが大きいような気がします。時計師たち、つまり職人たちがプライドをかけて作っている時計には、言葉では表しきれない何かがあります。フィリップ・デュフォー氏のシンプリシティや、ピーター・スピークマリン氏のピカデリーなどは、デザインが斬新というわけでなく、特別な機構を搭載しているわけでもなく、華やかな装飾もありません。にもかかわらず、それらを手にしたときの驚きと感動は今でも忘れることができません。トゥールビヨンなどの複雑機構が作れる技術を持ちながら、あえて腕時計の原点とも言うべき作品にこだわる彼らの情熱と哲学。そうしたものが時計を通して伝わってくるのです。
 有名ブランドが発売しているプログレス社製のトゥールビヨンを搭載したモデルや、実際にはモジュールは別の会社が作っているのにすべて自社で製作したようにPRしているモデルなどとは大違いです。
 何だか取り止めがない感じになってしまいましたが、初めに書いたように、今月28日からスイスへ行き、バーゼルフェアを取材し、SIHHに顔を出し、時計師の工房や時計メーカーの工場などを訪問し、さらには時計博物館も取材するなどしてきます。それらすべてが雑誌記事のためというわけではないので、帰ってきたらこのコーナーだけの話も掲載できると思います。
 ただし、来週以降はスイスへ行く準備や、その前に納品しなければならない原稿などのために、このコーナーは一時中断させていただきます。4月中には再開させていただきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
2005,3,13


第18回 ヴァシュロンの傑作にうっとり
 先週、ヴァシュロン・コンスタンタン250周年を記念して4月3日にジュネーブで開催される、アンティコルムのオークション下見会に行ってきました。古いものでは約200年前に作られた懐中時計から、最も新しいものでは今回のオークションのために作られた複雑機構満載の置時計までが展示されていて、どれを採ってものどから手が出るほどの逸品ばかりでした。
 オークションですから、たとえば20万円程度からセリが始められるものもあり、思い切って入札をしてみるのも面白そうですが、実際にそんな価格で落札できるとは考えられません。まあ今回は、眼福というだけで満足しておくのが無難のようです。
 それで何がすごいかというと、第一に造りの確かさです。出展された作品はいずれも手作りですが、まさに完璧な造りで、一分のすきもありません。風防からケースまでが一体となったラインもそうですし、エナメル装飾などを施していない文字盤にしてもプリントではなく手描きです。さすがヴァシュロンと、改めてその素晴らしさを実感しました。
 ムーヴメントに関しても、いわゆる汎用ムーヴメントを使用しているものはなく、緩急針ひとつを見ても、時計によって微妙に違いがあり、それらを作った時計師たちの工夫の跡が見られます。しかも、説明によると月に数秒という誤差のものも珍しくなく、その技術の高さにも感心したというか、尊敬すら覚えました。
 日本には残念ながら、そのような素晴らしい時計が輸入されたことはほとんどなく、戦後の高度経済成長時代に入り、ラドー、ロンジン、ロレックスなどの、工場で量産されている時計が高級時計として知られるようになったと思っていいでしょう。スイス時計の歴史を考えると、ヴァシュロン・コンスタンタンのような高級時計から始まり、やがて普及型の量産品が出回るようになったわけですが、日本ではその逆で、量産品が流通することによって高級時計も知られるようになったわけです。
 格安のクォーツムーヴメントが日本で実用化されたのも、そんなことが背景にあったと考えているのですが、どうでしょうか。つまり、王侯貴族の装飾品としての価値とは無縁の、実用品としての時計が高級時計として輸入されたことから、時計はより安く正確なほうがいいという考えが何の抵抗もなく生じたと思うのです。
 そのことの是非をここで論じるつもりはありませんが、それが一流職人の手による工芸品ともいえるものではなく、大量生産による使い捨て品と結び付いてしまったことは残念に思います。もっとも、日本では時計に限らず、あらゆる手工芸品が時代の片隅に追いやられ、安物の大量生産品ばかりという哀しい状況に陥り、伝統技術を今に伝える腕のいい職人も数えるほどになってしまいました。
 その反面、機械式腕時計が手頃な価格で買えるようになるという、大量生産によるいい面もあるわけですから、一生かかってもヴァシュロンのような高級腕時計を手にすることができそうもない私にとって、それはそれでありがたいことなのですが。
 ただし、ヴァシュロン・コンスタンタンにしても、オーデマ・ピゲにしても、すべてをメーカー内部で作っているわけではありません。パテック・フィリップでも、手作業で作っているのはオーダーメイドなどの高級ラインだけです。
 1970年代のクォーツショックから立ち直るためには、コストという厳しい現実を克服しなければならず、そこから現在のスイス時計産業が再生したわけですから、それもまた一概に是非を論じることはできませんが。
2005,3,7


第17回 NHCがかなりいいですよ
 掲示板でもバーゼルフェアとSIHHが話題になっていますが、ちょっと頑張れば何とか手が届く価格の腕時計では、昨年デビューしたばかりのNHCの新作がなかなかいいですよ。正式にはバーゼルフェアで発表されますが、先日ひと足早く、というか代理店の人間以外ではおそらく私だけ、CEOのガウチ氏から新作を見せてもらいました。
 既存の4アイテムのうち、ジャンピングアワーのオッティカとアナロジカはマイナーチェンジですが、そのわずかな改良で格段に引き締まったデザインになりました。カラーバリエーションも増えましたが、新しく加わったカラーはとても美しく、ゴールドケースモデルには大いに惹かれます(ちょっと買えそうにありませんが)。
 トノーケースのビューティフュールとセントラルパワーにはラウンドケースが加わりましたが、デザインにもひと工夫があり、ずいぶんと魅力的なモデルになっています。
 そしてさらに、デザイン的にはオッティカですが、ムーヴメントはモナリザのものを使用したクォーツモデルも登場しました。価格はまだわかりませんが、モナリザの価格を考えると、かなり手頃なものになるかもしれません。しかも、このモデルにはレディースがあります。ショパールのハッピースクエアが欲しいと思っている人もいるようですが、時間が許すならNHCも見てみてはどうでしょうか。
 個人的にはショパールも好きなメーカーで、ハッピーダイヤモンドシリーズなどは価格的にもかなり良心的ではないかと思っています。ただし、ハッピーダイヤモンドシリーズはショパールのなかでは廉価モデルのようです。今年もバーゼルフェアではショパールの取材もしますが、さすがにいいなあと思うモデルはやはり7桁の価格ですね。
 もっとも、私が一番関心を持っているのはL.U.Cで、チャンスがあれば工場も訪問したいと思っています。
 また、先日は日本シイベルヘグナーとスウォッチグループのスプリングフェアにも行って来ました。この時期ですから新作はあまりないのですが、ハミルトンのカーキシリーズのメカニカルクロノグラフに注目です。ケース素材はチタンですが、従来のチタンとは異なりポリッシュ仕上げが加わっています。ブレスレット仕様モデルはブレスも含めてオールチタン。もちろんナイロンベルト仕様に革ベルト仕様もありますが、ムーヴメントにETA7750を使用していながら8万円台という価格に驚かされました。すでに日本国内でも発売されているので、金子時計店のホームページに登場する日も近いのでは?
 それから、ティソのバーゼルフェア発表モデルにも面白いのがあります。一番の注目モデルはレギュレーターのポケットウオッチです。価格もかなりこなれているようですから、これまでポケットウオッチにはあまり関心がなかった人でも、かなり興味をそそられるのではないでしょうか。
 その他では、人気急上昇中のボールウオッチからも、バーゼルフェアでかなり新作が発表されるようです。好き嫌いはあるでしょうが、金子時計店のホームページでも販売されているハイドロカーボンシリーズは、王冠マークの人気モデルを凌ぐほどのスペックを誇り、実物を見ると仕上がりはそれ以上という印象ですが、価格はその半分以下。私からもオススメします。バーゼルフェアで発表される新作も楽しみです。
 王冠マークといえば、今年も新作が出そうですね。正直なところ、私はあんまり関心がないのですが。
2005,3,1


第16回エタポンをバカにしてはいけません
 2回続けて沖縄の話題でしたので、今回は時計の話を。
 11日の祭日に、ある作家の方と銀座松坂屋で開催していた世界の時計フェアに行ってきました。例年だと平日に行っているのですが、久しぶりに休日に行って人の多さに驚きました。もっとも銀座周辺はどこも人が多く、どこかでお茶でもと思っても、行列ばかりという状態でしたから、とりわけて腕時計に注目が集まっているというわけではないのでしょうが。
 仕事柄、顔見知りのお店も多く、なかでもよく知っているご主人のところでロシア製の匂いがぷんぷんする懐中時計を見つけました。最初に見つけたのは作家さんですが、ホーロー風の文字盤(実際にはプラスチックか何かでしょう)に、飾りのない大きなアラビア数字インデックス、そしてしゃれたデザインの長短針と、いかにもロシア製といった雰囲気なのです。ブランド名はいわゆるヒゲ文字で書かれているので私には判読できませんが、文字盤の下のほうにはMADE IN USSRと書かれているではありませんか。なんとロシア製ではなく、旧ソ連製だったのです。
 しかも、タグには3万円ちょっとの価格が付いていましたが、作家さんが興味を示しているものだから「ほんとうは○○で売ってもいいんですよ」と、破格値を耳打ちしてくれたのです。でも作家さんには買う気がない様子。「それなら私が便乗してしまえ」と、スケベ心を起こして衝動買いしてしまいました。
 ベルトなどに引っ掛けやすいバックルが付いたチェーンもなかなか。しかもきれいな袋に入れてもらえて、ずいぶんと得な買い物でした。
 でも、ゼンマイを巻くときは、チ、チ、チ、チといった感触のよさはなくて、ギリ、ギリといったザラつきを感じます。「ソ連製ですからね。仕上げをきちんとしてないのでしょう」と、ご主人。それも値段を考えれば愛敬というもの。
 ちなみに、ムーヴメントはきれいに磨きをかけて仕上げたからといって、それで精度が高くなることはありません。ムーヴメントの精度は、それ自体の設計と、ヒゲゼンマイやテンプなどのバランス、そして各パーツの素材や構造で決まるものなのです。とは、ある修理工房で聞いた話ですが、仕上げということではナンバーワンのフィリップ・デュフォー氏も、仕上げの程度で精度が変わることはないといっていました。
 同じムーヴメントを使っていながら、メーカーによって価格に大きな開きがあるのもそのためで、たとえばETA7750を使用している場合、安いものでは数万円のものがあるかと思えば、50万円以上のものもあります。これは仕上げだけでなく、ムーヴメントに手を加えて機構を追加したりしているほか、ケースの素材や付加機能に関係があるものの、ムーヴメント自体のポテンシャルは同じと考えていいでしょう。
 つまり、ETA7750がどの程度まで付加機能を追加できるのかによると思いますが、いろいろな機能が追加されているものよりも、いわゆるエタポンのほうが、実は耐久性などに優れている可能性もあるわけです。
 本来なら、どのような機構と機能を持った腕時計を作るかによって、それに最も適したムーヴメントを開発するべきなのですが、コストの問題などから、そのような時計作りを行っているところはほとんどないと思います。その点、ジャガー・ルクルトはさすがだと思いますが、もともとジャガー・ルクルトは時計メーカーではなく、ムーヴメントメーカーだったわけですから、それも当然といえば当然かもしれません。
2005、2,21


第15回 いずれは沖縄で暮らしたい!?
 先日の分を含めると、この8年くらいの間に沖縄本島へは5回、宮古島へは2回行っています。ほぼ年に1回のペースになりますが、プライベートでは沖縄本島へ2回行っただけで、あとは仕事がらみです。そして面白いことに、コマーシャルなどで目にする、あのまぶしい陽射しに映える青い空と海にお目にかかったことは、ほとんどありません。曇りの日が多く、よく雨にも降られます。沖縄で日焼けしたことがないのです。
 今回沖縄へ行ったのは、女性の心と体の健康を考えるみたいな雑誌の取材で、他の雑誌や旅行ガイドなどで紹介されていないようなヒーリングスポットというか、パワースポットを紹介することと、不思議な力を持った人(つまり私の知人の霊能者)にインタビューをすることが目的でした。内容に関しては、興味がある人は「エル・アウラ」という雑誌を見てください。今月中には発売されるはずです。
 天気はほぼ曇りで、ときどき雨が降るという、まさに私にふさわしい?空模様でした。でも、彼女の写真を撮るときには必ず太陽が顔をのぞかせました。カメラマンも「パワーがある人は違いますね」としきりに感心していたほどです。
 ここ数年、沖縄が癒しの島として特に女性に人気が高まっているそうですが、それはどうやら沖縄の風習にあるような気がします。
 沖縄が日本の一部とされたのは江戸時代の初めに薩摩の島津氏が攻め込んで支配をするようになってからですが、それまでは中国とも日本とも異なる独自の文化を育ててきていました。そして明治以降は完全に日本の制度に組み込まれます。
 というようなことから、沖縄には一般的な神社がありません。つまり、天孫降臨とは無縁の土地なのです。それは北海道も同じで、古事記や日本書紀に出てくる神話のなかの天皇や神々の世界とは異なるわけです。
 ただし、沖縄には御嶽(うたき)と呼ばれる聖地があちこちにあり、それらは神社の原型ともいわれています。沖縄方言などといいますが、実は沖縄方言のほうが元で、そこから日本語が派生したわけで、とにかく沖縄は日本の原点なのです。
 ですから、沖縄では神主がいません。聖地である御嶽は、それがある集落の人たちが守り続け、神ごとはノロと呼ばれる琉球王朝の神女たちの子孫などが司祭しています。神事は神主の専売特許みたいになっている神社とはずいぶん違います。そうしたところはイスラムに似ているかもしれません。宗教というより、社会生活全体がイスラムであるように、沖縄も社会生活と神々が深く関わりあっているのです。
 ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、沖縄では神様が一緒に生活をしているといってもいいでしょう。有名な観光名所ばかり見ているとわからないかもしれませんが、昔ながらの習慣を守りながら生活をしている人たちと接すると、それが実感できるに違いありません。戦争で多大な被害を蒙った沖縄本島よりも、戦災を免れた宮古島のほうが、そうしたことがよりわかると思います。
 多くの女性が沖縄に癒されるというのは、何でも「お上」が決めたことに従わなければならないとされる、抑圧された日本的発想から解き放たれるということがあるからではないでしょうか。つまり、お上に従うのではなく、神様(言い換えれば自然)の意思を尊重した生き方が、心を癒してくれるのです。
 私のように縛られた生活を嫌う人間にとっても、沖縄はいいところです。いずれ、そうですね、10年後くらいには沖縄で暮らしたいなと思っています。
2005、2,8


第14回 暖かくない沖縄に行ってきました。
 1月27日は日帰りで沖縄に取材に行き、その原稿を30日までに仕上げて納品。そして31日から2月3日まで再び沖縄へと、先々週から先週にかけてはほとんど沖縄づくしで、このコーナーの原稿が大幅に遅れてしまいました。申し訳ありません。
 沖縄にいると、あまり時間が気にならないというか、行動するときはいつも「何とかなるさ」の気分です。その理由のひとつに、沖縄には電車がないということがあると思います。一昨年にモノレールが開業しましたが、羽田のモノレールと比較するとスピードは緩やかだし、1本ぐらい乗り遅れたって困るようなこともなく、時刻表を見ながら時計を気にしたりするようなこともありません。
 この時期は沖縄の各地で、プロ野球の各球団がキャンプを張っていることが多く、31日の飛行機では横浜ベイスターズと一緒でした。ただし、知っている顔は牛島監督ぐらいで、ほかの人はどこかで見たようなといった程度。中日ドラゴンズと間違えてしまい、羽田空港のロビーで隣に座っていた球団関係者の不機嫌な顔を見て、ようやく間違えに気が付くといった失態を犯してしまいました(笑)。
 スウォッチが好きな人ならよく知っていると思いますが、沖縄では本土で入手できないようなスウォッチがかなり販売されています。今回は行きませんでしたが、確か嘉手納基地のゲートから伸びている商店街(だったと思います)には、有名なタコスの店やファッションの店、ディアマンテスの店(今はなくなったと聞きました)などたくさんのライブハウス、そしてスウォッチなど多くのファッションウオッチを販売している店などが並んでいます。
 私は沖縄に、かれこれ7〜8年来の付き合いになる知人がいて、訪ねるたびにいろいろなところを案内してくれるのですが、その知人というのがなんと霊能者なんです。そういうと、どこか近寄りがたい特別な人を想像するかもしれませんが、ふだんはとても気さくで明るく、たっぷりとした肉付き(早い話がかなり太っている)の、私より1歳年下のハーフの女性です。ときどき仕事で東京にも来ることがありますが、そんなときは私も含めた彼女の東京の知人たちと一緒に食べたり飲んだりしながら、楽しい時間を過ごしたりしています。
 また、今回は帰り(3日)に、ニュースなどでも紹介されている那覇空港の免税店を覗いてみました。化粧品、酒、バッグ、時計など、世界の有名一流ブランドの商品が免税価格で買えるとあって、観光や出張から帰る人たちが次々とやってきます。私も仕事の参考にと、腕時計を眺めてみましたが、カルティエやブルガリ、タグ・ホイヤーなどのほか、ファッションブランドの腕時計もかなり多く並んでいました。
 価格も確かに東京の百貨店などより安いのですが、どうやらそれは税金分だけ。当たり前と言えばそうなのですが、海外の免税店よりは高いようです。それはつまり、日本国内での販売価格を基準にしているからで、海外価格が基準ではないということでしょう。腕時計だけでなく、ほとんどの商品が国内定価の7〜8割が相場のようです。
 それでもやっぱり安いことは確か。財布にゆとりのある人は、沖縄に行ったらぜひ覗いてみる価値があります。ちなみに、私が大好きなジョニーウオぉーカーの青ラベルは1万5000円でした。東京近郊の安売り酒店では1万8000円ぐらいですから、3000円は安く買えるというわけです。もっとも今回は菊の露の古酒を買ったあとだったので見送りましたが。
 今回は時計の話ではありませんでしたが、次回もまた沖縄の話の予定です。たまにはいいでしょう、ね。
2005、2,1


第13回 やっと届きましたkanekoモデル
 来ました。来ました。待ちに待ったkanekoモデルが、ようやく私の家に配送されました。昨年末近くに頼んだのですが、金子さんのサーバー故障のおかげで私のオーダーメールが消失し、おまけに住所もわからなくなっていたとか。前回の原稿を送ったときにそれが判明。改めて住所をお知らせして、先週やっと届きました。
 ケースを開けての第一印象は、文字盤の大きさと比べてケースが大きいなというものでした。実際には、文字盤とケースのバランスはジャガー・ルクルトのレベルソとほぼ同じだと思うのですが、そのように見えるのは、ベースの部分よりもケースのほうが大きいからのようです。レベルソはベースの部分とケースが完全に一体化して見えますが、kanekoモデルは残念ながらそのようには見えません。
 また、ベースの部分がかなり厚いので、時計全体の厚みが増してしまい、フィット感も今ひとつという気がします。
 でも価格を考えたら、ブルースチールの針が使われたりしていて、かなりよく仕上がっているなと思います。欲を言えば限がないものです。それに何といっても、白&黒の文字盤を合わせても世界中で100本しかないんですから、それだけで私などはうれしくなってしまいます。
 あ、そうそう。手巻きなのにリューズが小さすぎて、ゼンマイが巻きずらいのはいただけません。あと0.5ミリ程度厚みを増すか、直径を大きくしてもらえたらよかったのに、日常で使うにあたって、ほんとここだけは残念です。
 どうも誉めているのか、文句をつけているのかよくわからなくなってきそうですが、気に入っていればこそ、ついつい細かいところまで念入りに見てしまっている結果だと思ってください。
 このkanekoモデルが加わったので、私の手元には製造本数が少なく、しかも製造終了となっている腕時計が9本になりました。懐中時計やクォーツモデルを入れても私が所有しているのは15本しかありませんから、なんと約3分の2がフツーじゃない時計になるわけです。これまた、ちょっとうれしい。といっても、コレクターとかマニアと呼ばれるにはほど遠いですが。
 話は変わりますが、土曜日にアントワーヌ・プレジウソ氏に会いました。48時間前に組み上げたばかりだという、プロトタイプのトゥールビヨンモデルを見せてもらいましたが、これがすごい! 何がすごいかというと、世界初の画期的な構造を持ったトゥールビヨンなんです。これは時計史に残るモデルとなること間違いないでしょう。完成するのは早くても秋頃になりそうだということですが、作るのは1本か、せいぜい2本だそうです。いくらになるのか見当もつきませんが、いずれにしても私には手が出せませんから、それは余計な心配というものでしょう。
 で、何がそんなに画期的かというと、トゥールビヨンがコーヒーカップになっているんです。といっても、皆さんがコーヒーを飲むときに使うコーヒーカップじゃありません。遊園地にあるコーヒーカップです。さて、どんなものか想像してください。
 いくつもの雑誌が取材に来ていましたから、ここで全貌を書いてしまうと編集者たちから袋叩きにあうかもしれませんし、これから仕事がもらえなくなると困るので、詳しいことはどこかの雑誌に記事が掲載されてからお伝えさせてもらいます。ちなみにこれは、ジャーナリストの品位といった問題ではなく、原稿料がもらえるところを優先したいという私の商売上の問題です(笑)。
 それでは、また来週。
2005、1,25


第12回   フリージャーナリストはつらいよ
 明けましておめでとうございます。
 昨年後半以降、日本だけでなく世界中で大規模な自然災害が続いていますが、今年は喜ばしい復興の年になるよう願いたいものです。
 さて、新年第一号にふさわしいビッグニュースは、といきたいと思っていましたが、これといったものがありません。時計業界は毎年そうなのですが、4月にバーゼルフェアとジュネーブサロンが控えているので、この時期はニューモデルの発表がほとんどないのです。今月20日過ぎあたりにアントワーヌ・プレジウソがトゥールビヨンの新作(プロトタイプのようですが)を携えて来日しますが、これも毎年この時期に恒例になっているアントワーヌ・プレジウソフェアに合わせての来日ですし、正直なところ彼の時計には衝動買いできるような価格のものはありませんから、私としても彼と会えるということ以外には楽しみもあまりないのが本音です。
 実はちょっと面白い情報もあるのですが、今ここで書いてしまうとフライングになるというか、ジャーナリストとして品位に欠けると見なされることになりかねないので、それは公表できる時期がきたらお伝えしましょう。
 そんなわけで、今回はかなり私的な話題で失礼させていただきます。何かというと、正月に大手家電量販店でホームページビルダーの入った福袋を購入しました。5000円程度でホームページビルダーにウイルスセキュリティなどソフトが6つも入っていたので、思わず衝動買いしてしまったのですが、現在ホームページ作りに取り組んでいます。
 自分のホームページを作りたいという気持ちは以前から持っていたのですが、時計関係のほかにもホームページを活用したい仕事があるので、今年こそはと一念発起。ドメインを取得して、ホスティングサービスまで契約をしてしまったのです。
 その上、プリンター、コピー、スキャナがひとつになったキャノンの複合機まで購入してしまうなど、あれやこれやで7万円以上も投資してしまいました。これはもうやるしかない!
 ほんとうはデジカメも欲しいんですが、3月末からバーゼルフェアその他で半月以上もスイスへ行く予定があるので、これ以上お金を使うとあとが大変。特定の雑誌などと契約をするのではなく、フリージャーナリストとして取材をして、その記事を雑誌など複数の媒体に買ってもらうため、経費は自己負担なんです。
 そんなことをせず、ひとつの雑誌と契約をして取材を行えば、経費はもらえるし、原稿料も確実に計算できるのですが……。
 現在、雑誌の収入は広告に頼っているところがほとんどなのです。少なくとも制作費は広告収入で賄えるように設計されていると思って間違いありません。ですから、日本で発売されている時計に関してはひととおり情報を提供しなければならない、というより存在価値を失ってしまう時計雑誌は別として、モノ雑誌やファッション誌などは広告収入が見込めるメーカー(ブランド)しか取り上げないことが珍しくありません。
 ですから私のように独立時計師や、どちらかといえばマイナーな、でも素晴らしい時計を作っているメーカーの紹介にも力を入れたい思うと、出版社が認めてくれる予算の範囲を逸脱してしまうわけです。
 自分のホームページを持ちたいという理由も、そんなところにもあるのです。雑誌では知ることができないバーゼルフェアの情報を、ホームページで伝えたいと思っているのですが、その前にホームページが作れるかどうか、まずはそこをクリアしなければなりません。いつになったらアップロードできるやら。でも、乞うご期待!
2005、1,17


第11回専用工具はやっぱりいいですね

 2004年もあと10日余りとなりました。危なっかしい足取りながら、アリサンニュースも11回を記録できてホッとしています。年内はこの回で終了させていただき、来年1月10日頃から再開させていただこうと思っていますのでよろしくお願いいたします。
 さて前回、クリスマスモデルなど限定バージョンが少ないと書いた後でハタと気が付きました。掲示板で金子時計店オリジナルモデルのことが話題になっていたけど、あれはどうなったのでしょうか。
 と、思う間もなく、金子さんから送られてきました。オリジナルモデルが! といってもデータ画像ですが。これはまさしくジャガー・ルクルトのレベルソだぁ!
 本当のことを言わせていただくと、もうちょっと金子時計店としてのオリジナルアイディアがプラスされるともっとうれしいのですが、でも写真で見る質感はなかなかいいですね。実は来年早々、ホームページに掲載されている腕時計(ずっと前から欲しかった)を購入したいと思っていたのですが、レベルソはもともと好きな時計だし、予算さえ折り合えばさっそく1本購入したいと思っています。いくらで発売するのでしょうか。
 ただし、都内のあるショップが有名ブランドの「そっくりさん」を次々と作って、かなり儲けているという話をしばしば耳にしていますので、記念モデルがどんなに好評を博したとしても、老婆心ながらそんな商売はしてほしくないと願っています。まあ、記念モデルということですから、それほどたくさん作られるわけではないでしょうし、かえってプレミアムになったりして(笑)。でも、何の記念なんでしょうか。そんなことも知らないで原稿を書いているとは、ちょっと間抜けな感じですね。
 それはそれとして、先日ブレスレットの交換用具を購入しました。もう何年も前からブレスレットのコマは自分で調整しているのですが、ちゃんとした用具を使わずに行っていたのです。そのため私が持っている腕時計のブレスレットは、どれも例外なくバックル付近のブレスレットにキズが付いています。
 アリサン流ブレスレット調整方法は、ゼムクリップとラジオペンチで行います。まっすぐ伸ばしたゼムクリップをラジオペンチで挟み、先端を5ミリくらい出して、その部分をブレスレットのピンに当てて押し出すわけです。ブレスレットがキズ付かないようにタオルを当てたりするのですが、まず1回では成功しませんから、いつの間にかキズが付いてしまいます。指を怪我したことも何度かあるのですが、ついついあり合わせの工具で何とかしてしまうという習慣(というより悪いクセ)が抜けません。
 小学生の頃からプラモデル作りが大好きで、中学生の時には模型エンジン飛行機(ラジコンではなくUコン。知ってますか)に夢中になって、自分で設計図を描いたり、模型エンジンを分解整備したりしていました。自動車関係の会社に就職してからは、営業職だったのに整備を覚えたくて勝手に工場へ足を運んでは手伝いをさせてもらいながら、整備士講習に半年通って3級整備士の資格を取りました。
 しかも、その頃はラリーやらダートトライアルに夢中になっていたものだから、設備や工具が揃っていない状況で応急処置をするのは当たり前になってしました。今でもちょっとした故障なら自分が持っている工具だけで何とかできる自信があります。
 いいか悪いかよくわかりませんが、自動車でも時計でも、メカというのは基本構造を理解していれば、必ずしも専用工具がなくても応急処置ができるものだと思っています。ただし、あくまでも応急処置、もしくはキズが付いたりすることを覚悟の上でということになりますが。
 もっとも、専用工具でのブレスレット調整はキズを付けることなく、スムーズに行えました。もっと早く買っておけばよかった(笑)。
 では、皆さんよいお年を。
2004、12,21


第10回そろそろクリスマスですが……
 そろそろクリスマスなんて、のんきなことを言っているのは私だけでしょうか。でも、今年は例年になくクリスマスの雰囲気がないような気がします。
 台風被害、中越地震をはじめ、毎日どこかで人が殺されている現実、そして出口の見えないイラク派兵問題や北朝鮮拉致被害問題などが、クリスマスの楽しい雰囲気をどこかへ追いやっているのかもしれません。
 腕時計も、例年はオリエントをはじめクリスマスモデルがいくつか発売されるのに、今年はトンと見かけません。私が持っている腕時計の中では、オリエントのGMTがクリスマスモデルですし、クリスマスモデルではありませんが手巻きのトトロウオッチ、そしてオリスのジャズシリーズのうちルイ・アームストロングとデューク・エリントンなど、限定モデルがいくつかあります。限定という言葉に弱い私にとって、クリスマスは限定モデルという楽しみがあるときなのです。
 もちろん、限定モデルが発売されるたびに購入できるほどの余裕はなく、たいていは写真を眺めて終わってしまうのですが、時折り清水の舞台から飛び降りて軽い捻挫をわずらったりもしています(笑)。
 限定モデルが少ない理由はわかりませんが、もしも売れ残ってしまうと、特にクリスマスモデルのように季節限定だと、あとは私のような変わり者の目に止まることを祈るばかりの運任せ商法になってしまうからかもしれません。
 それからクリスマスというと、キリスト教圏ではクリスマスカードを贈る習慣があり、私も親しくしている2人に贈ろうと梱包の用意までしてあるのですが、英語で挨拶を書くのは面倒だし、それ以上に英語で書くのが得意ではないので(話すほうがずっと楽です)、まだ部屋の片隅に置いたままになっています。早く贈らないとクリスマスが過ぎてしまうと、気持ちが焦るほど何を書いたらわからなくなってしまう情けなさ。これで海外の時計師たちとも親しくしているなどと言っているのですから、けっこう私もいいかげんですね。
 クリスマスもそうですが、皆さんはまだ先のことと思っているかもしれないバーゼルフェアも、私のような人間にとってはもう準備期間に入っています。来年はプレス関係者の事前登録が行えるので、書類に必要事項を記入して事務局に送らなければならないのですが、これまた英語で書かなければならないので厄介です。しかも今年までとは異なり、来年はフリージャーナリストとして取材をするので、プレスとしての許可がもらえるかどうかも不安な状態なのです。今年のバーゼルフェアまでは特定の雑誌取材のためにバーゼルフェアに行っていたので、もしもフリージャーナリストとして取材許可がもらえなかったら、どこかの雑誌に頼んで、そこの取材記者ということにしてもらればいいのですが、浮世のしがらみからなるべく逃れたい私としては、なるべく避けたい方法です。
 事前登録など、いろいろとプレスの規制を厳しくしようとしているのは、どうやら日本のプレスが多すぎることに原因があるようです。バーゼルフェアの記事を載せると雑誌が売れることもあって、今年のバーゼルフェアには日本人プレスだけで40誌以上も取材に行ったと聞いています。しかも、もともとバーゼルフェアは商談の場なのですが、日本人プレスは東京モーターショーのようなものと勘違いをしていることが多いようで、取材をしてあげるみたいな態度の人間もいたりします。
 いかにも日本人らしいというか、情けない現実を目の当たりにするのもバーゼルフェアなのですよ。バーゼルフェアに訪れる日本人プレスみたいな記事を書いたら、けっこうヨーロッパなんかで受けたりするかもしれませんね。
2004、12,7


第9回カラブレーゼ氏はもう時計を作らない?
 このところ堅苦しい話が続いたので、今回は気軽に読んでもらえそうな話です。
 金子時計店のホームページにもヴィンセント・カラブレーゼの作品がありますが、実はそれらのモデルは店頭在庫がなくなると終わりになってしまうのです。なぜかというと、カラブレーゼ氏は現在、NHCという新しいブランドの立ち上げで忙しく、ヴィンセント・カラブレーゼというブランドの作品は作っていないどころか、今後はオーダーメイドでしか作らなくなってしまうからです。先日、カラブレーゼ氏はNHCのPRで日本に来ましたが、そのときにもはっきりと言っていました。
 私は以前からカラブレーゼ氏の作品を1つは欲しいと思っているのですが、なかなかお金が貯まらないので買えないままになっています。ですから、なるべく早いうちに購入しようと思っています(残念ながら金子時計店の在庫にはないモデルですが)。将来的にプレミアムになるとか、そんな理由ではなく、あの面白い機構が好きなんですよ。もしもカラブレーゼ氏のモデルが好きな人がいたら、今のうちに買っておいたほうがいいですよ。そろそろ店頭在庫のみだということが知れ渡ってくる頃ですから(笑)。
 それから、カラブレーゼ氏と横尾忠則氏のコラボレーションモデルが、いよいよ発売になります。このモデルができたそもそものきっかけは、私が横尾氏を以前から知っていたことから、カラブレーゼ氏の日本限定モデルに横尾氏の作品なりアイデアなりを使えないだろうかと、代理店から持ちかけられたことにあります。
 横尾忠則氏といえば、現代アートの巨匠の一人として世界的に有名なアーティストですが、10年近く前に仕事をしていた月刊雑誌の表紙を横尾氏が担当していたことと、その後に私があるムックを作ったときにも表紙をお願いしたりしたことがあったので、それなりにお付き合いをさせていただいているわけです。
 また、横尾氏はスウォッチがすごい人気になったことがあり、現在もオリジナルのアートウオッチを作っているなど、腕時計とはけっこう関係のある人です。
 私はまず、カラブレーゼ氏がどんな時計師で、どのような作品を作っているのかといったことを説明し、NHKで放送された『独立時計師たちの小宇宙』というドキュメンタリーのビデオをお見せしたりしたのですが、それならばということで引き受けてもらえることになりました。それから先は代理店と横尾氏との間で話を進めてもらい、途中ではいろいろとあったものの、1年以上かかってようやく出来上がったというわけです。
 いくつかの時計雑誌ではすでに紹介されているので、写真を見た人はいるかもしれませんが、モナリザの機構とムーヴメントを使用した面白い腕時計に仕上がっています。
 なんだか自慢話みたいになってしまいましたが、私はどんな雑誌にしろ、ただ編集だけを行うのではなくて、その雑誌を柱にして人との関係を広げていき、ときにはイベントをやってみたり、別の雑誌などの企画に活かしたりといったことに興味を持って行ってしまうほうなのです。よく言えばさまざまなネットワークを持っているということになるのかもしれませんが、どちらかと言えば本業以外のことに手を出しすぎる傾向があり、金儲けどころか出費のほうが多くなってしまうことがよくある器用貧乏な人間です。
 それでも人生、明るく楽しくやっていければいいじゃないかと、けっこう楽天的な性格なので、今後も金儲けとは縁のない暮らしが続いていきそうです。
2004、12,7


第8回
ゼンマイの巻上げが悪くて、丸2日くらい使っていないとフルに巻き上がらない、定価2万円程度の有名スポーツブランドの時計を持っています(サンプルを菓子折りと交換したものなので文句も言えませんが)。その腕時計みたいに、なかなか「ほぼ週刊」にできなかったこのコーナーですが、掲示板を読ませてもらうたびに元気をもらうというか、アドレナリンが増量されていくような感じです。
 前回の記事については、かなり活発な意見交換がなされていて、うれしいような、こそばゆいような感じです。私の考えをもう少し整理すると以下のようなことになります。
 まず、腕時計には時刻を知るという本来の意味での実用性、おしゃれアイテムとしてのファッション性、宝飾品の一部としての装飾性、そして工芸品としての芸術性といった価値があると思います。価値観は人によって異なるうえに、「この腕時計の価値はこれだ」と決め付けることもむずかしいのですが、日本人のブランドに対する価値観には、さらに「いくらで売れるか」といった歪んだ財産価値や、「見栄」というか、他人に負けないために同じブランド品を持ちたいという、ちょっとおかしなフィルターが加わっているように思えてなりません。
 価格を基準にすると、50万円ぐらいまでの腕時計が持っている価値は実用性とファッション性だろうと思います。100万円近い腕時計になると装飾性も加わってくるような感じもしますが、ヨーロッパなどの社交界で着用するとなると、200万円以上の腕時計でないと人には見せられないと思います。そうなると、50万円から200万円という価格帯の腕時計の価値とは何なのでしょう。
 ヨーロッパの階級社会の是非を論じるつもりはありませんが、50万円から200万円くらいの腕時計は、いわゆる上流階級から見れば実用品なのです。社交の場で数千万円もするような腕時計を持っている人が、日常で使用する腕時計という意味で。
 話をどこに着陸させたらいいのか、だんだん怪しくなってきてしまいましたが、50万円の腕時計だろうが、また、たとえ200万円の腕時計であっても、量産されている大手メーカーの製品は基本的には実用時計であるという認識も必要なのではないでしょうか。もっとも、実用品であれば少しでも安く購入できるほうがいいのは当然。並行輸入店の商売が成り立っているのも、わかる気がしますし、宝飾品や工芸品と呼べるような腕時計が並行輸入店で扱っているとは思えませんから、まあ、それはそれでいいのかもしれません。
 私が気になっているのは、並行輸入という仕組みというか、それを海外から輸入してくる組織です。有名ブランド品もそうですが、並行輸入業者と呼ばれる、いわば問屋みたいな組織は、どこかで裏社会とつながっていることが多いのです。偽ブランドとも関連しているのですが、数年前にそのあたりのことを追求しようとしていたとき、身の危険にさらされるかもしれないと警告を受けたことがあります。また、実際にそのような危険があることは、ジャーナリストたちはよく知っています。
 もちろん、並行輸入店のほとんどは一般人ですから、その点は誤解のないように。大量の並行輸入品を流通させる仕組みのどこかに、裏社会が関与している可能性が高いということです。
 今回は楽しい話ではなくなってしまいました。次回はもっと面白い話にしたいと思います。
2004、11,27



第7回 安ければいいというものでは……
 このところ新しい時計雑誌が発売されていないこともあって、あまり話題になっていませんが、フランク・ミュラーがウオッチランドに戻ったことをご存知ですか。ウオッチランドの経営者であり、フランク・ミュラーというブランドの出資者でもあるヴァルタンという人物にとって、フランク・ミュラー本人がいるといないでは戦略的に大きな違いが出るということと、一方フランク・ミュラーにしても、このままでは時計界に復帰できる見込みがないといったようなことが「復縁」の引き金になったのではないかと思われます。
 私個人としては、それはそれでよかったと思いますが、フランク・ミュラーというブランドが抱えている問題が根本的に解決されたとは思えません。日本の市場にとっても、相変わらず並行輸入品のほうが多いと思われるような状況は変わっていません。並行輸入自体に問題があるわけではないのですが、あまりに並行輸入が多いという、得体の知れない流通ルートには、ちょっと嫌な雰囲気が漂っているように感じられます。
 それにしても、日本は腕時計に限らず並行輸入品が多いですね。最も有名なのはルイ・ヴィトン製品ですが、なぜあんなに高いビニール製品に夢中になるのか、本当に理解に苦しみます。いわゆるモノグラム製品は、内装には革を使用していると思っている人が少なくないようですが、それは間違い。革はハンドルや縁、あるいは外側の底の部分など、ヌメ革だけです。
 余談ですが、ヌメ革をナメ革という人がいますが、それも間違いです。ヌメ革を漢字で書くと「滑革」なので、それの読み間違いが原因ではないかと思います。正しい日本語って、むずかしいですね。
 ルイ・ヴィトンはビニールとはいえ、塩化ビニールを特殊加工したもので、塩化ビニールといえば中学生の頃、模型エンジン飛行機(ラジコンではなくてUコン。知ってますか?)の外装を仕上げるときに透明な塩ビ塗料を塗って、ラッカー塗料が燃料で溶けてしまわないようにしていたことを思い出します。塩化ビニールはそれほどに強いので、モノグラムもライターの火ぐらいでは焦げたりしないようです。
 ハンティング・ワールドはナイロンですが、こちらは内装に革を使用しています。実は私もハンティング・ワールドが好きで、長財布と札バサミを使用しています。このナイロンもライターの火なんかでは焦げたりしません。こちらは実験をしたことがありますから間違いありません(でも、いい気になっていろいろな実験をやり過ぎたため、当時持っていた二つ折りの財布は壊してしまいました)。
 話がだいぶ横道に逸れてしまいましたが、ルイ・ヴィトンにしてもハンティング・ワールドにしても、自分が気に入って、それなりの価値があると思ったら使えばいいわけで、正規輸入品は高いからイヤ、並行輸入品は安いからイイみたいな価値観はどんなものでしょうか。
 腕時計にしても同じです。たとえば、フランク・ミュラーは正規店より並行輸入店で買うほうが安いからと飛びつくのは、あくまでも定価を基準にして考えているからでしょう。ほかの腕時計と比べてみての価値判断とは思えません。フランク・ミュラーの価格が高いと思ったら買わなければいいのです。
 日本では安売り店が大流行していますが、それもちょっとおかしい。流通経路を省略しただけで安く売れるなら、そちらのほうを改善すべきなんです。ダイエーがとうとう身売りすることになるようですが、セール用の商品が安いのは納入価格を下げさせて、つまり納入業者を泣かせて安くしているわけで、ダイエー自体はしっかり利益を確保しているのです。「大量に売ってやるから安くしろ」は、ダイエーだけではないと思います。2004、12,7流通革命などとかっこいいことを言ってましたが、実態はずいぶん違っていたのでしょう。
 今回は話があっちこっちに飛んでしまい、収拾がつかなくなってしまいました。次回にまた続きを書きたいと思います。
 あっ、言い忘れました。金子時計店が安く販売したり、セールを行ったりしていることは大歓迎です。それもまた、次回に。
2004、11,14



第6回 1本のロレックスより10本の???
 11月10日から私の使用している電話回線がADSLになります。これまでISDNでがまんしていたのですが、データ画像を扱うことが多くなったので、マックを購入して効率アップを図るのが狙いです。編集者なのに今さら……といった感じもありますが、でもうれしい! ホント。
 ところで、今回もロレックスに関連した話題です。
 正直なところ、ロレックス擁護論みたいな話は皆さんから袋叩きにされるかもしれないと思っていたのですが、掲示板を見てホッと胸をなでおろしています。
 私個人としては、中古のエアキングで程度のいいものを手に入れて、ディックに文字盤を作ってもらいたいと思っているのですが、予算が許してくれません。さらにゆとりがあれば、バブルバックも欲しいモデルです。でも、現行モデルにはあまり魅力を感じていないことも確かです。
 時計関係の仕事をしていながら、私が持っている腕時計は10本程度。コレクターの人たちからは「それだけ?」と笑われてしまいそうです。しかも、10本を購入した金額を合計しても、デイトジャストの新品が買えるかどうか。
 数億円でオファーがあったというアントワーヌ・プレジウソのスターダスト・トゥールビヨンを手に取らせてもらったこともあり、1千万円程度の時計にはしばしば触れさせてもらっていますが、それはあくまで仕事上でのこと。プライベートでは10本程度の「コレクション」のなかから、オリスやオリエントの腕時計をその日の気分や服装に合わせて選んだり、時計店などを回って気に入った革ベルトを見つけては自分で付け替えたり、ときにはブレスレットを外して掃除をしたりして楽しんでいます。
 もしも初めにデイトジャストを購入していたら、そんな楽しみは持てなかったに違いありません。何しろ7万円ほどのオリスを購入するのに、2か月近くも迷ったような状態ですから。
 実はそのルイ・アームストロングモデルは、インターネットで購入したものの、原稿料が予定どおりに入らなかったため、家に届く日に代引きのお金が用意できそうもありませんでした。どうしようかと悩んでいたら、私が留守の間に母親が立て替えて受け取ってくれていました。恥ずかしい話ではありますが、今年1月に母親は他界し、何よりの思い出として残っています。
 また先日、私の所属しているラグビークラブの飲み会があったのですが、そのとき先輩がアンティークのオメガをしていました。父親から譲られたものだそうで、天文台マークが裏ブタに貼ってあるモデルですが、いつの間にかそのマークが外れてしまったと残念がっていました。このモデルだと、かなり程度のいいものでも10万円をちょっと出たくらいで手に入ると思いますが、これまで何度もオーバーホールをしているので、維持費のほうがはるかに高いものについていると言っていました。それでも愛用しているのは、とてもすばらしいことだとうれしくなりました。
 モノより思い出というコマーシャルがありますが、腕時計も同じではないでしょうか。ロレックス、それもスポーツモデルについては、買い替えに得だという雑誌の記事がやたらと目に付きます。実は、私もそのような記事を書いた(というより書かされた)ことがありますが、そんな記事に乗せられてロレックスを使っている人がいるかと思うと、残念なような、悲しいような気持ちになります。
2004、11,10



第5回  ロレックスはやっぱりいい時計!?
 時計師たちの話が続いていますが、ここでちょっと方向転換。
 私が親しくしている人たちのなかに、キース・エンゲルバーツとディック・スティーンマンというエングレーバー(彫金師)がいます。ディック・スティーンマンはNHKの『独立時計師たちの小宇宙』にも登場しているので、ご存知の方もいると思います。彼の本職はダイヤモンドセッター(テレビでもアントワーヌ・プレジウソの作品にダイヤモンドをセットしているところが映されていました)ですが、文字盤のエングレーブも行うし、時計学校を夜間に通って卒業しているので時計の修理も行えます。かなり器用な人間です。
 キースは今、著名な時計メーカーから引っ張りだこの人気。まさに絶好調といった感じです。彼の名を時計界で一躍有名にしたのは、ジャガー・ルクルトのプラチナ・ナンバーワンのエングレーブですが、最近の作品ではハリー・ウィンストンやウブロなどのものが知られています。彼自身のオリジナルではドラゴンが世界的な人気になっています。
 ところで、キースが普段よく使っている腕時計はチュードルの手巻きアンティークモデルに、自分で作った文字盤をはめ込んだものです。ロレックスで働いている彼の弟にオーバーホールをしてもらったようですが、丈夫で精度もよいと自慢しています。
 また、ディックはロレックスの手巻きアンティークに、これまた自分で作った文字盤をはめ込んだものを愛用しています。やはり丈夫で精度もいいそうです。おそらくメンテナンスは自分で行っているのでしょう。
 彼らに言わせると、ロレックスはやはりいい時計だそうです。何がいいのかというと、まず丈夫であるということです。少々ぶつけたりしてもケースが壊れることがなく、精度にも影響がありません。そして防水性能がいいので、安心して使えます。
 実際、アンティークと呼ばれる腕時計で、実用性の高さでロレックスに優るものはありません。1940年代から1950年代に多く作られたバブルバックでも、日常生活防水は保てるそうですし、精度に関しても実用性を十分に維持できるそうです。
 日本ではサブマリーナなどスポーツモデルの人気が高いだけでなく、デイデイトのような高額モデルもかなり売れていることから、高級腕時計の代名詞のようになっていますが、ロレックスの本領は実用性の高さにあるのです。ですから、30万円程度のエアキングか、もう少し高くなりますがカレンダー付きのデイトジャストが、ロレックス本来の持ち味を発揮している腕時計といえるわけです。ロレックスのメンテナンス部門で働いていた人からは、ロレックスは30万円程度のモデルでも、高額モデルでも中身は同じだと聞いたことがあります。
 最近はサラリーマンのおっさんまでサブマリーナを使っていたりします(しかもブレスレットをゆるゆるにしている)が、あれなんかは腕時計の何たるかを知らない典型的な例でしょう。
 実は私の父親も、30年くらい前に購入したデイトジャストを愛用していますが、一度だけどこかが壊れて修理しただけで、今でも正確に動いています(私のオリエントよりかなり精度が高い)。汎用ムーヴメントを搭載している有名宝飾ブランドの腕時計を何十万円も出して買うよりも、ロレックスを買ったほうがいいと思います。
 ロレックスは実用時計の最高峰であって、高級時計ではありません。そこのところをよく理解した上で、アンティークから現行モデルまでを見てみると、ロレックスのよさがわかってきます。同時に、多くの日本人が持っている、間違ったロレックス神話も一掃できると思います。
2004、11,4



第4回  独立時計師たちは恐妻家?
 このところ私には珍しく、仕事に追われっぱなしの状態で第4回目の原稿に手がつけられませんでした。ほぼ週刊には、まだまだほど遠い状態ですみません。
 さて今回は、前回に引き続いて時計師たちの話です。
 雑誌の女性編集者たちにえらく人気があり、かっこいいハゲの代表みたいなシャウアーは、ジョニー・デップが登場するような映画でゲイの役を与えられそうな感じがしないでもないのですが、本人もそれを察しているのか、かつてある日本人に「僕はゲイじゃないよ。ちゃんと結婚して子供もいるよ」と言ったそうです。ということは、本人もハゲを案外気にしているのかも。
 また、日本ではNHKの『独立時計師たちの小宇宙』という番組以来、フィリップ・デュフォーとアントワーヌ・プレジウソを筆頭に、アカデミーの独立時計師たちが注目されるようになりました。実はフランク・ミュラーもアカデミーのメンバーなのですが、名前を連ねているだけで何もしていません。独立時計師という名称を日本で最初に有名にした人物なのに、実態はずいぶんと違っていたわけです。
 その他に日本でその作品が発売されている独立時計師は、ヴィンセント・カラブレーゼ、スヴェン・アンデルセン、パウル・ゲルバー、ヴィアネイ・ハルター、ベアト・ハルディマン、キュウ・タイユ、そしてピーター・スピークマリンといったところでしょうか。一番手頃な価格のものは、カラブレーゼのジャンピング・アワーなどですが、それでも40万円ほど。プレジウソは最近値上がりしているので、70万円ぐらいからになってしまいました。ピーター・スピークマリンのピカデリーは造りと価格のバランスがいいと思いますが、それでもステンレスモデルで120万円以上しますから、簡単には手が出せません。
 面白いのは、独立時計師の多くがすばらしい奥さんに支えられているということです。独立時計師というと、ずいぶん優雅に好きなことをしていると思われるかもしれませんが、実際にはそれほどでもありません。それどころか、作品が認められて売れるようになるまでは、かなり苦しい時期を過ごしていた人たちがほとんどなのです。
 つまり、そんな苦しい時代に彼らを理解し、文字どおり生活を支えなくてはならなかったわけですから、並大抵の女性ではないわけです。イギリス人のピーター・スピークマリンはなかなかのイケメンですが、奥さんはチリの出身で、小柄でふっくらとした体型。いわゆる美人ではありません(本人もそう言っています)が、非常に頭のいい女性です。人当たりもよく、ピーターのセクレタリー兼マネージャーとしても、これ以上の女性はいないと思われます。ピーターは仕事の話になると熱中してしまい、私が理解していようといまいとお構いなしになってしまうのですが、そんなときには奥さんが「通訳」をしてくれます。ちなみにピーターは、独立時計師たちの間で愛妻家というより恐妻家として知られているというか、からかわれています。
 また、独立時計師だからといって、自分の作品を売ることだけで生計を立てている人は案外少なく、時計メーカーの依頼で設計を行ったり、技術指導をしたりして収入を安定させていたりもするのです。ですがピーターの場合は、現在ピカデリーというシリーズの販売による収入で生活をしています。しかもひとりで作っているので、正直なところそれほど儲かってはいないようです。今年のバーゼルフェアでは、奥さんも一緒になって商品の説明や売込みをしていました。その2人の姿を見ると、私も微力ながらお手伝いをしていることがうれしくなったものです。
 実は、フィリップ・デュフォー、アントワーヌ・プレジウソ、ピーター・スピークマリンは、つい最近来日したので、私も彼らと楽しいひとときを過ごすことができました。その話もお伝えしたいのですが、雑誌に記事が掲載されてからでないと、出版社から叱られそうなので、それはまた別の機会にさせていただきます。
 次回はほぼ週刊を守れるように努力しますので、これからもよろしくお願いいたします。
2004、10,23



第3回  ハゲなのにかっこいいドイツ人
 猛暑もようやく収まってきました。私は暑い夏が大好きで夏バテなどしたことがなかったのですが、今年は暑さが一段落してきた頃に体調がおかしくなりました。やっぱり猛暑の影響なのか、それとも失われつつある若さのせいなのでしょうか。高校入学以来30年以上経った今でもラグビーの現役プレーヤー(といってもオジサンチームですが)として頑張っているものの、かつてのバックスも現在はプロップ。トホホ。
 ところで、来年は何の年か知っていますか。日本におけるドイツ年なんだそうです。ドイツ政府や観光協会などが中心になって、さまざまなイベントを企画しているとか。時計メーカーにも協力要請があったらしく、グラスヒュッテ・オリジナル、ミューレなどは早くも来年に向けての活動を始めています。
 実は前回、全モデルに自社ムーヴメントを搭載しているメーカーはパテック・フィリップとジャガー・ルクルトぐらいと書きましたが、眼をドイツに移すと、もうひとつグラスヒュッテ・オリジナルもその仲間に上げられると思います。スイス製ムーヴメントとはずいぶんと違う構造を持っていて、なかなか美しい仕上げが施されています。
「じゃあ、ランゲ&ゾーネはどうなんだ」と言われそうですが、正直なところ詳しいことはわかりません。多分自社ムーヴメントだと思いますが、いずれきちんと調べます。
 話をグラスヒュッテ・オリジナルに戻しますが、グラスヒュッテ・オリジナルというのはスウォッチグループが作ったブランド名で、もともとはユニオン(ドイツ語ではウニオンと呼ぶようですが)の製品です。グラスヒュッテは第2次世界大戦後、鉄のカーテンに覆われてしまい、いろいろな時計工場が国営企業として統合されたことはご存知の人も多いと思います。そのため、現在のグラスヒュッテにある時計メーカーは、東西ドイツが統合されてから復興したものばかりで、それまでグラスヒュッテの時計作りがどのように継承されてきたのかなどが今ひとつわかりません。
 だからこそ、IWCがランゲ&ゾーネを作り、スウォッチグループがグラスヒュッテ・オリジナルを作れたともいえるのですが、両社のカタログやホームページなどを見ると、どちらもグラスヒュッテの正統を継承しているといったようなことが多く、なんだか日本の南朝と北朝の正統派争いのような感じがしなくもありません。
 私としては、とても手を出せるような価格ではありませんから、どっちが正統でもいいのですが、どうもスイスの有名メーカーがムーヴメントにも関係しているような噂があるランゲ&ゾーネよりも、ユニオンが作っているグラスヒュッテ・オリジナルのほうを贔屓したくなります。価格も比較的良心的だと思いますし。でも、メーカーにとってマイナスな噂を書くと、どこかの週刊誌みたいに文字を消されてしまうかもしれませんので、これについてはこのくらいにしておきましょう。
 ドイツ時計といえばグラスヒュッテが大看板みたいな感じがしないでもありませんが、私はシャウアーとか、テンプションといった独立系の時計も好きです。シャウアーは有名雑誌で賞を獲得したこともあり、かなり人気が高くなってきたようですが、ヨルク・シャウアーは時計師でなく、彫金師です。スキンヘッドなのにやさしい目をしていて女性にもてるため、私も含めた男の関係者が集まると「あのハゲオヤジ」と、親しみとひがみを込めた会話に花が咲きます。実際のところ、とても感じのいい人です。ホント。
 テンプションはクラウス・ウルブリッヒという、これまた髪が薄くなってきたオッサンが作っている時計ですが、無骨という形容がぴったりの、でも味わいの深い時計です。ウルブリッヒさんにはメシをごちそうになったことがありますが、その食べるのが早いことには驚かされました。ガツガツと食べているのではないのに、こちらが半分ぐらい食べる間に、しっかりと平らげてしまっているのです。欧米の人間はゆっくり食事を楽しむなんてウソだあ〜。
 ということで、この次も彼らに関する面白い話と、スイスの時計師についての愉快な話をお届けしたいと思います。
2004、10,1



第2回  ムーヴメント神話は誰が作ったのか?
 ほぼ週刊なんていいながら、いきなりほぼ隔週刊みたいになってしまい申し訳ありません。スイスから時計師などの来日が続いて取材に追われたり、雑誌の校了が迫ってきたり、さらには時計とは関係のない原稿の締め切りに追われたりと、あまり稼ぎのよろしくない私でもときには忙しさだけ売れっ子みたいになることがあるんです(笑)。
 実のところ、第1回目はあまり歯切れがよくないかなと不安もあったのですが、掲示板を見てまずまずの反応。ホッとしました。でもブライツさん、あまりニヤニヤしないでくださいよ。
 ところでジャケ社のピエール・ジャケ氏の逮捕は、会社の回りを警官が取り囲んで、スイスではなかなかの大捕り物だったそうです。盗品売買で捕まったのですが、なんと今回が4回目だそうですから、その世界ではかなりの大物というか、警察でもかなり以前からマークをしていたみたいですね。一説によると、ロレックス社から預っていた金塊を横流ししたともいわれていますが、そのあたりのことはよくわかりません。
 もっとも、ジャケ氏はもともと盗品を横流ししたり、倒産した会社のムーヴメントを安く買い叩いたりして現在の会社を築き上げたといわれている人物ですから、スイスではまたやったかぐらいにしか思われていないのではないでしょうか。事件にもかかわらず、ジャケ社は何ごともなかったかのようにムーヴメントを作り続けているのですから。
 ジャケ社とロレックス社といえば、ロレックスが自社開発したという現行のデイトナのムーヴメントは、実はジャケ社が作ったという噂を聞いたことがあります。外国のジャーナリストがスッパ抜いて問題になったということですが、その記事を読んだことがないので詳しいことはわかりません。ただし、ゼニスのエル・プリメロをベースにしていたという先代デイトナについては、デイトジャストなどと同じラインで作られているという、かなり懐疑的な記事をインターネットで見たことがあります。
 日本の機械式腕時計ファンのなかには、ムーヴメント神話をそのまま受け入れている人もけっこういるようですが、すべてのモデルに自社製ムーヴメントを搭載しているメーカーは、私の知る限りでは、現在ではジャガー・ルクルトとパテック・フィリップぐらいではないでしょうか。ゼニスが今年のバーゼルフェアで発表したトゥールビヨンにしても、トゥールビヨンに付加されているモジュールはゼニスで開発したものではありません(バーゼルフェア会場の外でモジュールを開発した人に会いました)し、ムーヴメントを自社開発しているメーカーにしても、おそらく価格面の問題があるからだと思いますが、汎用ムーヴメントに手を加えて使用しているモデルも発売しています。
 こんな話を聞くと、へぇ〜と驚く人もいると思いますが、スイスの時計界では自分の会社で作れるものよりいいものがあったら、それを使ったほうがいいという考えが昔からあるようなのです。ですから分業も進みました。ケースメーカーから発展したリメスのモデルを見てください。コインエッジのケースなどは、かなりいろいろなメーカーで使われています。
 ムーヴメントにしても同じことが言えます。ETA社の独占に近い状況にはかなり問題もありますが、ベースムーヴメントを明らかにせず、自社キャリバーナンバーを付けているメーカーの宣伝に振り回されるのは考えものです。すべてのムーヴメントをクロノメーターにしたからといって、ベースムーヴメントがETA社製であることに変わりはないのですから。
 かっこいいから選ぶ。機能が気に入ったから手に入れる。手頃な価格だから買う。まずは素直な気持ちで腕時計を選び、使ってみればいいと思います。
 ちなみに私が持っている一番値段の高い腕時計は、オリスのデューク・エリントンモデルです。バーゼルフェアでは、どこのメーカーを取材に行くときでも、金子時計店で購入したオリエントのGMTを毎年使っています。そのほうが、かえって腕時計を理解していると思われるんですよ。ホント。
2004,9,22



第1回
金子時計店で最初に買った腕時計は、確かシチズンのフォルマ(自動巻き)だったと思います。4年ぐらい前ですかね。それから小遣いがたまると2〜3万円程度の、といっても比較的珍しい腕時計を数本購入させてもらっています。
 そんなお付き合いが始まって1年ほど経ったころ、ある腕時計雑誌の編集に携わることになりましたが、金子さんが東京に来るとお会いしたりしています。
 この夏で、その雑誌の副編集長としての専属契約を終えて、フリーライター兼フリー編集者という本来の姿に戻りました。そこで金子さんのご好意もあり、ちょっとした時計業界の裏話やら、面白い情報などを不定期(なるべく週刊情報にしたいと思っていますが)ながら連載させてもらうことになりました。といっても、これは私の趣味として書かせてもらうことですから、皆さんが金子時計店で時計を買われた代金の一部をいただくというような、そんな大それたことは考えていません。どうぞご安心ください。
 といこうことで、今回はフランク・ミュラーのスイスでの評判と噂を少々。
 日本でもいくつかの雑誌で、フランク・ミュラーがすでにウオッチランドから離れていることが書かれています。こうしたことはスイスではよくあることで、ダニエル・ロートにしろ、ジャラルド・ジェンタにしろ、ロジェ・デュブイにしろ、ブランド名になった本人たちはその会社にはいません。
 フランク・ミュラーが自らのブランドを立ち上げるにあたっては、ある人物から資金面での支援がありました。これもスイスではよくあることで、ロジェ・デュブイなども同様です。つまり、時計師は時計を作り、経営は出資者が担当するのです。ところが、フランク・ミュラーとその出資者が、金銭面などの問題で関係が悪くなり、パートナーを解消したというわけです。
 それだけなら、たいした話題にもならなかったはずですが、今年に入って不法就労の問題でウオッチランドが捜索を受けました。出資者はアルメニア人ですが、おそらく彼の関係でしょう。多くのアルメニア人をウオッチランドで不法就労させていたというのです。そのうえ、その頃ある新聞のインタビューで、フランク・ミュラーが「私は酒も女も麻薬も好きだが、自分でコントロールしているから問題ない」といったようなことを話したのです。
 これらのことは知っている人もいると思いますが、そうした行動や発言で、フランク・ミュラーは本人もブランドも、一気に人気が落ちてしまいました。
 そしてさらに、もっととんでもないことが発覚しました。そのことについては、「知ってるか?」とスイスのある時計関係者からもたずねられましたので、間違いはないと思います。そのとき彼は「雑誌に書かないのか?」とも聞いてきましたが、私としては個人の責任で書けるような問題ではないと答えました。すると彼は笑いながら「確かにそのとおりだし、書いたら(命が)危ないかもしれない」と言いました。
 ということで、私もここで書くわけにはいきません。また、スイスでも公式には発表されていないはずです。でも、おそらくフランク・ミュラー本人が時計界に復帰することはないでしょう。
 もっとも、フランク・ミュラーはとっくに時計作りをしていなかったのですから、それほど驚くことではないかもしれません。
 それでも3次元曲線といわれるトノーカーベックスの美しさに変わりはありませんし、ウオッチランドに優秀な時計師がいることも確かです。フランク・ミュラー本人がいてもいなくても、そのブランドはすでに独り歩きをしていたのです。
2004,9,9

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