昨年の10月11月、本HPで、今後取り扱って欲しいブランドは?というアンケートをとったところ、ほとんどの方からロレックスとオメガを扱って欲しい。いや何故ロレックスやオメガは扱わないのですか、といったご不満の?声を沢山頂きました。
ロレックスやオメガを扱わなければ、時計店にあらずと言われているようで苦笑した次第です。
しかし高級時計(高い時計)といえばこの2大ブランドをすぐに思い浮かべるほど抜群の知名度ですよね
多くの方が知っているブランドですが、言い方を変えれば、ロレックスやオメガしか知らないとも言えるのではないでしょうか?
そして老若男女のほとんどが良い時計だと思っているそれらのブランドウォッチは本当に良い時計なんでしょうか?
話は、ちょっとそれますが、高級時計と高い時計(高いだけの時計)とは違います。
価格に見合うだけの内容があればどんなに価格が高くても高級時計と言えるし、高い割に内容のない時計は「高いだけ」の時計だと思っています。
表題に「ブランドウォッチ亡國論」という少々大袈裟なタイトルをつけていますが、その時計の内容や本質を知らずに、高いだけの時計を良い時計だと、ブランドイメージだけて「良いものだ」と盲信されている方々への今後の時計選びの一助になればと思って書き進めたいと思っております。
「余計なお世話だ!」とお思いの方は、今後このページを開かれないようお願い致します。
去年のことですが、友人の子供さんが、ロレックスのサブマリーナを着けているので、どうしたのと聞いたら、パチンコで稼いだので買ったと言うのでかなり驚きました。その子供さんは、現役の高校2年生なんです。
ああ、こんなに若いうちからブランド品至上主義(まだモノの本質を知らないうちから)で、このような若者が大人になったら日本の将来はどうなるのだろう・・・と思ったら暗い気分になってしまいました。
「ブランドウオッチ栄えて国亡ぶ・・・」ということにならないようにと願っているのですが・・・。
私、時計の修理に携わって30年以上が過ぎました。
毎日いろんな時計の中身(ムーブメント)や外装(ケースやバンド)を見て触ってみて感じることは価格の高い時計で価格に見合うだけの内容のある時計がいかに少ないか、ということです。
言い方を変えれば、「よくこんな時計にこんなに高い値段を出されたな」、という時計があまりにも多いのです
そのほとんどは、クオーツ時計ですが・・・(最近の修理は7割以上がクオーツです)
私ごとで大変恐縮ですが、私がこの道に入った当初は、まだクオーツ時計がやっと出来た時代でした。
クオーツ時計が出た当初は、まさに驚天動地の騒ぎだったのをよく覚えています
何しろそれまでの機械式での誤差は、日差10秒が限界だったのが、一気に月差10秒にも精度が上がったのですから。
それから国産時計ではクオーツオンリーになってしまい、クオーツ時計で出遅れたスイスの時計産業が存亡の危機に陥ったのは皆さんご承知の事と思います。
別にクオーツが悪いと言っている訳ではありません、クオーツ時計には機械式にはない高精度・高機能・利便性があるのですから素晴らしいことだと思います。
が、いかんせんクオーツムーブメントは、原価が安い!
そのクオーツ腕時計(最初は水晶時計と言っていました・・・もう死語?)の第1号機がセイコーより1969年に
「アストロン」の名前で発売されて32年が経ちました。
第1号機の価格は、当時でも45万円とかなり高価でしたが、その後大量生産大量消費で見る見る価格が下がり今ではムーブメントのみなら3桁の金額で買えるほど安くなってしまいました。
その価格の低下こそが無数のブランドウオッチを生む結果となってしまったのです。
そのクオーツ時計が出来て間もない頃、私は時計の世界に入ったのですが、昔はまだ「徒弟制度」というものがしっかり残っていて現代では考えられないような修行生活を5年間送ったのです。
時計業界の徒弟制度
話は、表題から横道にそれてしまい、申し訳ないのですが、私がお世話になった「曽根時計店」の「徒弟制度」のすさまじさについて少しふれてみたいと思います。
先ず修行期間は、基本的には5年間とされ、その5年間は丸刈りで、給料というか、小遣いは、職人さん(5年間の弟子の期間を終えた人を職人と言う)の5分の1程でした。
店休日は元旦のみで、店員の休みは交替で月2回です。その休みというのも朝、店を開けて掃除をし商品を陳列してから、夜の閉店時には店に戻って後片付けをしなくてならなく、休みといっても正味8時間程でした。
実家に帰って1泊できるのは大晦日の夜だけという厳しさでしたがどうにか5年間持ちました。
生活は当然、住み込み生活なのですが、窓という窓にはすべて鉄格子が付いておりました
それはなんと弟子達が脱出しないようにという理由で付けてあったのです
「火事のときはどうするんですか」と社長に尋ねたとき、「その時はでかいハンマーを用意しといて鉄格子を叩いて広げて逃げろ」と真顔で答えられて開いた口がふさがりませんでした
その鉄格子越しに、夜になると中洲のネオンを指を咥えて眺めていたものです
(中洲のことはのちほど詳しく述べます)
曽根時計店のあった場所は川端という所で、今は「博多座」という九州で唯一の歌舞伎の劇場になっています
立地条件はとてもよかったのですが私が辞めてほどなく潰れてしまいました
もう少し枝葉を・・・ つづく